ハピ・ラキ

迷いつつも歩き続ける日々の記録

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目の前に困っている人がいたら

 活動が停滞しそうだったので、自分から何か動かないと…と考え、CEACのディレクターYに会いに行った。彼は、地域開発=つまり村落開発普及員みたいな役割なのだが、予算がないので、今ほとんど何もしていないんだそうだ。でも、やる気はあるようで、「改良かまどの試作を一緒にやらない?お金かからないし。」って言ってみたところ、「やるやる」って。カウンターパートのMB氏とは違って、Yは時間がありそうだから、これから良いパートナーになってくれるかも。
 その後、MB氏のオフィスへ。私の今後の活動について、2時間ほど議論。前回よりは、私も言いたいことが言えた気がする。というか、フランス語能力の未熟さもあって、物事をはっきり単純に表現してしまった。少し強く言い過ぎたかな?と思ったけど、それが返って良かったみたい。最終的に、相互理解が少しできた気がする。MB氏が、2時間もの議論に付き合うほど、忍耐力のある人で良かった。

 帰りに市場に寄ったら、以前調査した、本当に崩れそうな家に住んでいるマダムにバッタリ会った。「50Fのトマトを買いたいんだけど、お金がないのよ」という。いつもの、「Il n’y a pas de moyen」というセリフだ。でも、彼女には本当にお金がないのだろうな、と思う。50Fなんて、本当に、はした金だ。日本円なら今円高だし10円くらいだ。あげることは簡単なんだけど、問題は「お金をあげる」という行為自体だ。今後、私がその行為を受け入れていくかどうか、ということだ。即座に答えが出ず、「ウーン」と困った顔をすると、「いいのよ」と手ぶりで諦めを示し、彼女は行ってしまった。
 伊坂幸太郎の「砂漠」という小説の中に、「目の前に困っている人がいたら、前後の事でしのごのと理屈をこねず、そのまま助けてあげたらいいんだ」(手元に本がないのでそのままの記述じゃないけど)というようなセリフがあり、私はそれを読んだとき、「その通りだ!」と思った。でも、やっぱりいざとなると、「ここで私がお金をあげることにより、この人はこの後人に頼る人生を歩むんじゃないか。私はこの人に会うたびに、お金が欲しいといわれるんじゃないか。また、他の人からも、あの人はお金をくれると思われるんじゃないか」なんて、余計な理屈を考えてしまうのだ。カメルーンは文化として、持っている人が持っていない人にお金を払うのが普通のようだから、考えすぎずにあげてしまっても、良いんじゃないか、と思うこともあるけれど。
 これから、どうしようかな。今もまだ、方針を決めてない。
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  1. 2008/11/12(水) 22:11:55|
  2. カメルーン生活
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